『哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ』は、月刊アスキーに1991年8月から1992年8月まで掲載された連載記事を一冊の本にまとめたものです。
20年前の本ですが、参考になる部分がたくさんありましたので紹介します。
この本は、2つの側面があります。
1つはMS-DOSについての入門書的な側面です。
MS-DOSの知識は、今となってはあまり役に立たないかもしれません。
もう一つの側面は、コンピュータがもたらす個人や社会への影響を考察する側面です。
この点では、20年前の本ですが参考になりました。
考えるヒントになったところを抜粋します。
■第3章 思考は<流れ>なのか?
論文の作成方法が、原稿用紙からワープロに変わり、思考と表現の関係が直線的思考法から変化した。
自分にとって本来的なものを、事柄そのものにとって本来的なものと考えてしまっていないだろうか?
人はその時代時代の技術や文化に制約されている歴史的存在である。
古い考え方や昔の成功体験にしがみつかず、あたらしい道具に挑戦することを忘れないようにしたいと思います。
■第4章 物質性を持たない電子文字
プリントアウトしたくなる欲求について。
電子文字は発想や思考と同型の流動性を有している。
プリントアウトすることで思考を固定化して、他者の視点から見ることができる。
※関連:イギリス経験論のロック、ドイツ観念論のヘーゲル、フルボルト
ペーパーレス化を考える時は、プリントアウトの利点も忘れないように。
■第6章 ハードディスク階層構造の構築
あらゆるトラブルを解決するスーパーマニュアルは可能か。
答え:不可能。慣れるしかない。
※フレーム問題
■第8章 CD-ROMは印刷文化を変えるか
これは、ちょうど計算記述源以前に、円周率を一生かかって何千桁も計算した学者に似ています。コンピュータ時代にあっては、残念というか、悲しいというか、彼の一章の努力は、せいぜいパソコンの数十秒でしかなかったのでした。
現代でも、コンピュータに任せたらすぐにできることを、人が時間をかけて行っている場面があります。
■第9章 CD-ROMタンデム走行を目指す
書籍の値段は、本制作費と発行部数の兼ね合いで決められる。
内容の濃さやレベルに応じて、値段が設定されているのではない。
印刷本から電子文字化が進む今後、その価格をめぐって大混乱の起こることが予想される。
日本で電子書籍がなかなか始まらない理由を、ずばり指摘しているように思います。
■第12章 文字表現のカラオケ化
カラオケがプロの伴奏で歌うという行為を大衆に開放したように、パソコン通信がものを書くという行為を大衆に解放した。
人々は、自分について、自分の思いについていっせいに大声で語り始めた。
まるでSNSやツイッターのことを言っているようです。
もちろん20年前には、SNSもツイッターもありませんでした。